当たり前ではありますが、ブリーダーはその小さな命を意図を持ってこの世に創り出します。
人間の介在がなければ、そこにその命は存在しえません。
当人たちの意思とは無関係に、こちら人間側の勝手都合な交配によって赤ちゃんが無事産まれる毎に、歓喜と同時に不思議な違和感さえ抱いてしまいます。
「これは私が創り出してしまった命なんだ・・・」
その良し悪しは別の問題にしても、もはやそのプロセスは確かに『自然』ではないということは実感として持っています。
だからこそ、その「命」に対し責任を痛感することなど至極当然で、何よりもどの子でもどんな子でも、どうしようもなく愛しく、また尊く想います。
・・・しかし、「生」だけでなく、その対極にある「死」に関しても、向かい合い受け入れていかなければならないのです。
長寿を全うして亡くなる子だけでなく、不慮の事故や病気で亡くなる子、お母さんのお腹の中で亡くなっている子、誕生後間もなく亡くなってしまう子。
多くの「生」と同じだけの「死」が必ず存在します。
いかなる全ての「死」を正面から受け入れることが、ブリーダーとしての責務であり、何よりもその子達への誠意だと考えます。
そういった想いの一端から、2010年12月に地元の動物霊園の芝墓地に Poo's House の子たちのお墓を作りました。
思いのほか見事に仕上がったお墓に満足するのと同時に、うちの子たちが皆いつの日かこの中に入るのだと思うと、とても切なくなり、、、やるせない気持ちになりました。
ブリーダーを始める数年前、あるベテランブリーダーさんに思い切って聞いてみたことがあります。
「新生児や生後間もなく亡くなってしまった子達のその後はどのような扱いをしているのですか?」
私はその答えにすごく感銘を受けました。
「近くの動物霊園と交渉して、毎回小鳥と同じ金額で火葬してもらっているんです」
具体的な火葬費用まで教えて頂けました。
度々、心無いブリーダーや業者がニュースなどで取りだたされおりますが、犬たちのことを本当に大切に想っている方はそういった見えないところでもちゃんと心を尽くしてやっているんだ、・・・と救われたような想いを抱きました。
掛かり付けの獣医さん曰く「自然淘汰の一環」とも云われるようですが、残念ながら子犬が産まれてすぐに亡くなってしまうケースは生物学的に一定の確率のもと免れない現実だそうです。。。
お母さん犬が命がけでようやく誕生させた、小さな小さな命が手のひらの中で消えていってしまう瞬間、、、 その時はいつも何もしてあげられません。
小さな手足をピーンと伸ばし、力の限りの最後の一呼吸で「みぃ~」と小さな声を上げて、力尽き亡くなります。 私達はただそれを見守るだけです。
その時はいつも「もう、辞めたい」と思ってしまいます。。。
それくらい「死」は重くて辛いです。たとえそれが新生児であっても。。。
そのブリーダーさんの話をもとに地元の動物霊園と交渉したことろ、小鳥の火葬と同額とまではいきませんでしたが、それに近いところで快く応じてくれました。
新生児はあまりにも小さいため、火葬してもほとんど骨が残りません。
その短すぎる命の証しは、ほんのひとつまみです。
その為、新生児の子はどうしても他のペット達との合同火葬となり、その後畳一畳ほどのお墓に入ります。
共同墓地ではありますが、きちんと管理が行き届いている霊園なので安心して眠らせてあげられます。
個別火葬にしても合同火葬にしても人のそれと同じように、火葬前に焼香してお線香をあげてお経まで読んでくれるのには正直びっくりしました。 のもつかの間、、、
お経が終わるまで目を閉じ、手を合わせ、その子の生涯を想い、死を憂います。。。
その時、必ず心の中でつぶやきます。 「また戻っておいで・・・」
正直あまり頻繁にお世話になりたくはないところですが、ちょうど年の暮れという季節がら「来年もよろしくお願いします」という長年この時期の、聞きなれた、言いなれた、ごくありきたりな年末の挨拶に強い強い違和感を感じてしまったのは、まだまだ私がブリーダーとしての修行が足りていない未熟者だからとは、あまり思いたくはありませんでした。